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福岡高等裁判所 昭和55年(ネ)579号 判決 1983年9月27日

控訴人 郷原悟 ほか一名

被控訴人 国

代理人 西修一郎、野田猛 ほか四名

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人郷原悟に対し金二六二六万六五九一円、控訴人嶋田艶子に対し金六五〇万円及びそれぞれこれに対する昭和四九年一〇月三一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次の補足するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(ただし原判決一〇枚目裏一〇行目の「第六回」を「第七回」と訂正する。)

一  控訴人らの補足主張

1  未熟児網膜症は、保育器中の未熟児に対する酸素投与が原因ないし誘因となつて発症するものであるから、その予防のため酸素投与は必要かつ最少限に止めるべきことは、医学上の定説であり、医療の常識である。本件の昭和四九年当時において、未熟児網膜症の発症予防のため、未熟児に対する酸素投与は、全身チアノーゼあるいは無呼吸など呼吸障害を示す場合にのみ、また、その状態にある期限に限つてなさるべきであり、しかも、未熟児の状態の推移に対応して投与量も厳密に管理すべきことは、医療水準として確立していた。そして、酸素投与の管理を厳密に行うため、チアノーゼ、無呼吸発作などの臨床所見を指針とする方法、更に厳密なものとして、動脈血中の血液ガス値の測定による方法などがあつた。しかるに、控訴人悟に対する酸素投与は、かかる厳密な管理が加えられることなしに、昭和四九年三月九日から同月三〇日まで二二日間に亘り三〇パーセント以上の高濃度の酸素が保育器内で漫然と供給され続けたのである。殊に、同月二二日一亘酸素投与を中止した後、その投与を再開すべき必要がないのに、再び酸素投与を開始している。

この慎重な配慮を欠いた不必要に過剰な酸素投与に起因して、控訴人悟は重篤な未熟児網膜症に罹患し、その結果失明するに至つたのである。したがつて、右酸素投与をなした国立小倉病院の医師には医療上の注意義務違反があり、被控訴人国は診療契約上の債務不履行責任ないし不法行為責任を免れない。

二  補足主張に対する被控訴人の反論

控訴人悟に酸素投与するに際して、必要な注意を欠いていた点は全くない。

そもそも、未熟児網膜症は、未熟児として生れたという事情が負因として決定的なのであり、多くの障害の可能性(死亡の危険・脳性麻痺の発症・失明など)を負つて生れてきた未熟児について、その生命を救うことはできたが、不幸にして視力を救えなかつたということから生ずるものである。健全な新生児として生まれてきたに拘らず、その眼の機能に対し被控訴人が過失によつて殊更障害を生ぜしめたものであるかの如く主張する、控訴人らの立場は、基本的に誤つている。

現に、酸素の投与を受けなかつた未熟児についても、未熟児網膜症の発症例が認められ、酸素の投与のみが本症の発症原因ではない。また、未熟児に対する酸素投与を制限したために、未熟児の死亡率が増加したばかりでなく、脳性麻痺等の脳障害が増加したことは、各資料によつて明らかである。現在においても、未熟児に対する酸素療法の具体的実施において、生命・脳を救う目的と眼に障害を残さない配慮との二者択一の矛盾の中で、結果回避の根本的解決方法が模索されている段階である。

したがつて、未熟児診療に当る医師としては、その全身状態、診療経過に照らして、患児が酸素不足に陥る可能性が強く、生命・脳に危険があると判断した場合には、先ずその危険を回避するために必要な酸素を供給するのがそのとるべき最も適切な処置である。そして、右の危険が去つたことが明らかでない限り、必要な酸素の供給を怠ることは許されない。

控訴人悟は、在胎週数二八週、生下時体重一三三〇グラムの、いわゆる極少未熟児であつて、身体の諸機能に未熟児特有の未熟性が認められ、しかして、その診療に当つた国立小倉病院の医師は、同児の全身状態、診療経過から、酸素不足による生命・脳への危険があるものと判断して、その救済に必要な限度で酸素を供給したものであつて、その酸素投与上の処置になんら注意義務違反の点はない。

三  新たな立証 <略>

理由

一  当裁判所は、控訴人らの本件請求はいずれも失当として棄却すべきものと判断するものであり、その理由は次のとおり付加するほか、原判決理由中の説示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人らの補足主張について)

控訴人らは、控訴人悟は慎重な配慮を欠いた不必要に過剰な酸素投与を施されたことが原因となつて重篤な未熟児網膜症に罹患し、その結果失明するに至つたのであるから、この点において国立小倉病院の医師に医療上の注意義務違反があつたことが明らかである旨主張するけれども、本件全立証によるもこれを肯認するに足りない。

もつとも、控訴人悟は、昭和四九年三月九日国立小倉病院において出生後、直ちに同病院の未熟児室に入院し保育器に入れられ、同日より同月三〇日まで濃度二三ないし四〇パーセントの酸素投与を受けたことは当事者間に争いがない。

しかし、<証拠略>を総合すれば、未熟児網膜症は、その発症機序が完全に解明し尽されたといい難いものであるが、酸素の投与のみが原因となつて発症するものではなく、寧ろ、未熟児特有の未熟性、殊に網膜の未熟性に起因する疾病と考えられるものであることが認められる。

のみならず、控訴人悟が在胎期間二八週、生下時体重一三三〇グラムの、いわゆる極小未熟児として出生したことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、未熟児、特に極小未熟児は、呼吸器、肺機能の未熟性から、呼吸障害、循環器障害を起し易く、そのために酸素不足に陥ると種々の適応不全を惹起し、その結果中枢神経障害(脳の障害)を招き易く、しかも、一度その障害を起すとその後の治療によつては容易に回復しない危険があり、右の呼吸障害に伴う各障害を防止するために酸素の投与が必要となるものであること、国立小倉病院において、小児科医として控訴人悟の診療を担当した向野ミチ子医師は、入院当初の同控訴人の全身症状、殊に多呼吸、呼吸の不規則性、シーソー呼吸、呻吟、鼻翼呼吸、下顎呼吸、無呼吸発作等の症状、皮膚の色その他の状態を観察して、重篤な呼吸障害の存在を認め、酸素投与の必要があるものと判断して、酸素投与を開始し、以後、同控訴人の全身状態を観察し、各症状の経過をみながら、必要と認められた期間必要な濃度の酸素の投与を継続したものであつて、漫然と過剰な酸素を投与したものではないことが認められ、これを覆すに足る証拠はない。

なお、控訴人らは、動脈血中の血液ガス値の測定の方法によつて酸素投与の必要量を厳重に管理すべき注意義務があつた旨主張するけれども、<証拠略>によれば、当時国立小倉病院においては動脈血酸素分圧(PaO2)を知るためには、患児から採血して測定する方法しかなく、したがつて、動脈血酸素分圧によつて未熟児に供給すべき酸素量をコントロールするためには多数回に亘る採血を必要としたこと、しかして、一回当りの採血量が少量であつたとしても、多数回に亘り採血する結果、体重の少い未熟児にとつては体重比において相当量の採血をすることとなり、全身状態の悪い未熟児のために決して好ましいことでないこと、更にまた、右採血の都度、未熟児に強いストレスを及ぼし、その結果無呼吸発作を惹起させ、ときには人工呼吸を施さねばならぬ程の悪影響を及ぼし、全身状態を悪化させる危険があること、右の採血による悪影響を考慮して、向野医師は、動脈血酸素分圧を検査して、これにより酸素投与量をコントロール方法をとらなかつたことが認められる。そうすると、かかる向野医師の措置になんら不当の点はないから、控訴人悟について動脈血酸素分圧を検査しなかつたことをもつて注意義務に違反したということもできない。

以上のとおりであるから、控訴人らの補足主張は採用することができない。

二  よつて、本件各控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条八九条九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 蓑田速夫 金澤英一 吉村俊一)

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